沿革
吾平地域の「吾平」は、吾平山上陵の所在地で、吾平の地名は日本書紀神代下(かみよのしものまき 西暦720年)に「吾平山上陵」とあるのに由ったもので、極めて由緒ある用字です。
西暦1026年ころ、平良宗が当地に住し、荘園を開いたと伝えられ、吾平は早くから開けていました。大隅(国分)正八幡宮の四所宮の一社である姶良正若宮八幡宮は当地に建てられ、これが大隅半島上の正八幡宮領の中心拠点になったと思われます。中世の当地は肝付氏治下にありましたが、肝付氏が降伏した天正以降は島津氏直轄領となりました。
明治4年廃藩置県が行われ、当地の上名・麓・下名の3か村は、それぞれ戸長役場を設けて統治していましたが、明治」22年町村制施行と同時に、姶良郷の3か村は合併して姶良村と改称しました。その後、昭和22年10月15日に町制を施行して姶良村を吾平村と更生し、吾平町と変更しました。そして、姶良村の誕生以来116年の長い歴史を刻んできた吾平町は、平成18年1月1日に旧鹿屋市、旧輝北町、旧串良町との合併により、新生「鹿屋市」として生まれかわり、新しい歴史を歩んでいます。
観光資源
吾平地域の魅力を高める観光資源は、数多く存在します。吾平山上陵、黒羽子のかくれ念仏洞穴、中岳(吾平富士)と四つの滝、立神公園の奇岩、建国神話に関わる神社、各種の史跡、姶良川流域の豊かな自然環境、田園地域における農山村風景、黒羽子観光農園、県立大隅広域公園などです。
吾平山上陵の概要説明文 ▶吾平山上陵の案内動画
イラストマップで見る吾平
吾平地域の歴史文化資源マップ
神野マップ
「神野おもてなし弁当」の注文を受けます!
神野地区に中岳(吾平富士)登山、四滝巡り、吾平自然公園散策、川遊び、キャンプなどにお出かけの際には、一週間以上前に電話で注文していただくと、ご指定の日時にご 指定の場所に”神野おもてなし弁当”をお届けします。
神野地区町内会の女性部が、地元の食材を使って手作りしたお弁当です。写真は税込み500円の「神野おもてなし弁当」です。
<ご注文先とご注文内容>
1 注文先の電話番号:090-1160-6829(上之原 昇 神野地区町内会長)
2 以下の情報を電話でお伝えください。ご不明な点はお尋ねください。
①弁当の値段(600円以上のご希望金額)、②弁当の数、③弁当を受け取る日時と場所、
④注文者の氏名と電話番号、⑤その他(領収書発行など)
一度は入ってください「ウォーターパール館」
神野にある吾平自然公園には、「ウォーターパール館」があります。水に特殊な音波を当て球体に変化させて水を流し(これでは落下速度が速すぎて人の目には一本の流れる水にしか見えない)、そこにストロボを使い水にライトを照射して、残像現象を利用して作り出した水玉です。しかも、ストロボの点滅速度を変化させることで、水玉が静止したり、ゆっくり上昇したりもします。子供さん達には科学への興味を持たせるキッカケになるかもしれません。
現在は、土・日曜日の9時から16時まで開館で、入館料は大人300円、子ども150円です。問合せは、阿多商店(電話0994-58-6931)に願います。
農家民宿
吾平町には、農家民宿として「元気印の菜園畑」が一軒あります。修学旅行生、観光客、農業研修生、海外の方などを受け入れています。農業体験の事例報告もあります。
農家民宿「元気印の菜園畑(さえんばっけ)」
予約先、場所、設備、利用料金、体験内容などの詳細については、鹿屋市観光協会と
鹿児島グリーン・ツーリズム協議会のホームページをご覧ください。
なお、鹿屋市観光協会では、民泊受け入れ家庭の募集をしています。
伝統芸能
吾平地域には、八月踊り、そば切り踊り、持田棒踊り、末次棒踊り、山陵子ども太鼓、吾平音頭などの伝統芸能があり、各町内会で保存会を作ったりして受け継いでいます。
八月踊り
そば切り踊り
末次棒踊り
山稜子ども太鼓
吾平の歩み
吾平の歩み 明治時代
大正時代
昭和初期
昭和13年頃
昭和13年大風水害
戦後の風景
昭和30年代~40年代
昭和50年代1
昭和50年代2
さよなら大隅線
平成時代1
平成時代2(鹿屋市と合併)
吾平の民話
・明和の落石と稚児の滝
・権現島の鬼火
・飴屋敷
その他
吾平のきまり